オバマ米大統領 広島訪問

オバマ大統領の広島訪問、私は歴史的瞬間をテレビの前で見守りました。
簡素な式典ながら、真摯な態度で、原爆投下の負の側面に光を当てたオバマ大統領の長時間にわたるスピーチが印象的。戦後70年以上の時を経て実現した今回の訪問は、外交努力を通じた2国間関係の発展における、1つの到達点と言えるのではないか。

アメリカ大統領としては初の広島訪問であったにもかかわらず、「謝罪の無い広島訪問に意味は無い」という論調も目立ちました。確かに「核なき世界」は現時点で非現実的であり、また日米の真の和解という意味でも道半ば。しかしながら、今回の訪問は、日米両国の友好関係を1段上のステージに導く第一歩になりうると感じました。

毎日新聞の論説を引用したいと思います。
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オバマ米大統領 広島訪問 真の和解への道=論説委員長・小松浩

オバマ米大統領の広島訪問は、被爆地で「核なき世界」への決意を示したことだけでなく、日米両国の真の戦後和解への一歩を刻んだという点で、歴史的である。
今の日米の友好は、あの悲惨な戦争の結果として築かれた。だが、戦後の日米関係は強固な同盟にばかり光があてられ、加害と被害、という負の側面は脇に置かれてきた。そのことは、双方に屈折した感情を植えつけた。
日本では、米国に安全保障を委ねたことで、原爆の非人道性を表だって問う声は押し殺された。その一方、戦争責任を断罪した東京裁判への不満はくすぶり続けた。
米国では、広島、長崎への原爆投下は、戦争終結を早めたとして正当化された。日本が真珠湾奇襲攻撃の代価として払う、やむを得ない犠牲だと受けとめられた。
過去の戦争を巡る、日米の深い傷と大きな溝。これを癒やし、埋める努力をしない限り、友好の絆はいつかほころびかねない。避けて通れない和解への道を、まずオバマ氏が歩いたのである。
後押ししたのは、71年の歳月だ。だが、被爆者の多くがあえて謝罪を求めなかったことの重さを、誰もがかみしめるべきではないか。
謝罪の言葉より、現地に来て、何が起きたのかを見つめてほしい−−。被爆者のそんなメッセージがなければ、オバマ氏は、訪問に踏み切れなかったかもしれない。
次は日本の首相が真珠湾を訪れるのが、自然な流れだろう。オバマ氏の一歩を安倍晋三首相が受け継ぎ、未来へとつないでほしい。原爆と真珠湾というトゲを抜いた先に、日米両国の新しい絆が生まれるに違いないからだ。
歴史を相対化し、ひとつの歴史空間をつくりあげる。そのことほど、和解の名にふさわしい作業はない。その意味で、日米の和解は、日本とアジアの和解を改めて考えるきっかけにもなろう。
「被害者の示す度量と、加害者の慎み」。それが出合ったとき、歴史の和解が可能になると書いたのは、朴裕河・韓国世宗大教授だ。(「和解のために」平凡社)
20世紀の歴史の中で、日本は被害者でもあり、加害者でもあった。度量と寛容。慎みと勇気。これらはすべて、あらゆる国と国の和解の、前提となる要素である。
そのためにも、オバマ氏の今回の広島訪問を、日本と米国の「成功物語」だけで終わらせてはならない。